美代子母命日

平成二十七年十一月一日


 今日は、秋晴れの良い一日でした。 美代子母の命日で、陽寿院にお参りに行って来ました。

 三十三回忌でのハプニングの内容を伝え、猛郎父と美代子母に、皆で集まって法要をきちんとした事も改めて伝えてきました。

 三十三回忌で戒名の字が異なっていた卒塔婆を見てきましたが、写真のように「慈圓美香大姉」に書き換えられていました。

 新しく卒塔婆を作り直したわけではなく、卒塔婆の表面をサンドペーパーのようなもので「茲」の字を消して「慈」に修正してありました。 遠くから見ると全く分からないですが、近くから見ると修正したことが分かります。

ただ、少し時間が経てば表面が変色するので多分見た目には全く分からないでしょう。

 私は、今回のハプニングは、やはり英賢住職のミスではないかと推定します。 つまり、過去帳が「茲圓美香大姉」であれば、美代子母の戒名を憶えている筈もないので、三十三回忌の回忌表も過去帳を元に書くはずです。 しかしながら、回忌表にはきちんと「慈圓美香大姉」になっていたことと、過去帳を持ってきて見せなかったことから、本当は過去帳も「慈圓美香大姉」だったのではないかと思っている次第です。 英賢住職は指摘されて、プライドが許さずとっさに過去帳のせいにしたのではとも考えられます。

 美代子母の葬儀の写真が見つかれば、、正しい先代の書いた白木の戒名が「慈圓美香大姉」だと証明できるのですが、まだ探し当てていません。

 また、墓石の墓誌は先代が書いた戒名を元に、石屋の堀部さんが字を刻んでいる筈なのでこらも一つの証明なのではないかと思います。

 とりあえずは、状況の報告でした。

 

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美代子母の三十三回忌

 平成27年10月25日(日)


 11時より高輪の陽寿院にて美代子母の三十三回忌の法要が執り行われました。

 晴天の中、無事法要は終わったのですが、卒塔婆の戒名の「慈圓美香大姉」の「慈」が「茲」になっており驚かされました。

とりあえずは、卒塔婆が無いと可笑しいので、そのまま卒塔婆をお墓に立てて墓参りを済ませ、住職に確認すると、先代が残した「過去帳」には「茲圓美香大姉」になっていたのでとのこと。

 先代の桜井和尚から戴いた戒名はそのまま位牌にも記されており、墓石の墓誌にも刻まれていることを説明すると、英賢住職は先代が字を勘違いして過去帳に記入した可能性もあるため過去帳を修正することを約束してくれた。

 その後、直ぐにお台所さんが墓から卒塔婆を回収してくれたので、正しい戒名の卒塔婆に変えていただけたと思います。

 読経時は「じえんみこうだいし」と音読みなので、美代子母にはきちんと我々の気持ちが届き、三十三回忌の法要も有効だったと理解しています。

 11月1日の命日に、改めて墓参りをしようと思うので、その時に卒塔婆も確認しておきます。

カメラを持ってきたことを忘れていて、会食後に全員で撮影!

会席料理はとても美味しく戴きました。

@マリオットホテル品川のなだ万雅殿の個室にて

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